実はひそかに北京に行ってたり

4月のはじめ、北京に行ってきました。

スケートの大会で競技役員をするためです。まあ、この地震で大変な中、よくもまあ日本スケート連盟は選手団を派遣したもんだ、と少し関心している。(大会中はジャージに喪章。審判団も日本人は胸に喪章をつけた。あ、それと開会初日に黙祷がありました)

しかし、よくよく思い返せば、選手団が派遣されなくても、審判の要請はアジア・スケート連盟から来ているわけで、日本人選手が出ようが出まいがわれわれは審判をせなあかんわけだな。

というわけで、アジア・カップという大会でスターターをしてきました。

参加国は、中国、韓国、日本、カザフスタン、モンゴル、インド、香港の7チーム。

近年のカザフスタンの躍進もあって、上位4カ国は結構激しい争いをするわけなんだが、インドの子なんてコーナーでクロスもできない子がいてたり・・・

昔、ロングトラックの練習に行った時に高速道路に原付が走ってるようなものと自分らを卑下したものだが、これはもはや高速道路に三輪車の状態だ。

まあ、事故なく終わったのだが、1500mで5周遅れ、とかなんだよね(1500mは13周半ね)。インド人選手が2人残って滑ってるバックに「ホテル・カリフォルニア」がながれた時にはシュールすぎて少し泣けた。

大会自体は何の問題もなく、私の仕事についても何の問題もなく。自己評価は結構高い90点。国際競技会といっても、やることは普段となんにも替わらない。そういうものだ、スポーツってのは。

買い物とか食事とかどうなるものかと思っていたが、お偉いさんがた(ほんとに偉い)に毎晩食事をごちそうになった。目の前に大量につまれる大皿を見て、一時的に国内事情を考えるのをやめた。

こんだけ食べて、体重はと思ったのだが、ほとんど増減なし。はやり日中起きてるからか。

前回のオーストラリアに続いて、非常に楽しい思いをして帰って来ました。レフェリー団の人はみんな親切だったしね。ほんと、家族のような感じってのはこういうことを言う。初日のレフェリー団だけで行った食事会は本当にリラックスして楽しかった。

ちなみに、言語はほぼ日本語でした。向こうに日本語できる人がいまして。まあ、少しは中国語も英語も話しましたけど。

いやー、また行きたいです、国際競技会。スケートばかりがんばってもいかんのだけれども。